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          食 育

近頃、食育という言葉がよく聞かれるようになってきました。
といっても新しい言葉ではなく、明治時代のジャーナリストで村井弦斎という人が「食道楽」という小説の中で、「小児には、徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先き」食育が徹底され、健全な心身状態でなければ、他の教育も身につかないという主旨のことを書いたのが最初といわれています。
その時代は、一般庶民の間では栄養学など知るものもなく、また食糧も豊富ではないため、栄養の不足が子供の心身の発達に大きな障害となっていたための「食育」だったのでしょうが、食べ物や栄養に関する情報が溢れている現代での「食育」はどのようにすすめていけばよいのかを考えてみませんか。
このページでは、食に関するいろいろな思いや考えを書きました。
ご意見お待ちしています。


受賞

地域に根ざした食育コンクール2005で、特別賞 審査委員会奨励賞を受賞しました。
http://nipponsyokuiku.net/concour/2005/jusho_29.html


石釜で焼く手作りピザで応募しました。
親子での参加がほとんどですが、子供に限らず親御さんの食に対する知識の少なさに驚いたのがきっかけで、 伝えられることを少しずつでも伝えていきたい、と考えるようになりました。
一対一でピザ焼きを進めていくわけですから、その中で食べることの大切さを始め、食に関する色々なことをお話させていただくようになりました。
ピザに使うハーブも野菜も畑から自分達で取って来てもらうようにしました。
ピザを焼きときに使う薪も希望者には薪割りをしてもらいます。
自分で食事の用意をして自分で作る、そして出来たものを人に、家族に分け与える。
買ってきたものでは味わえない豊かさがそこにあります。
                

 なぜ今食育なのか  いただきます    自然と農業
 
 安全な食品
 自然と健康
 無農薬野菜

           
なぜ今食育なのか

BSEを始めとして鳥インフルエンザや産地偽装など、食に関する様々な事件が相次ぎ、食への関心が高まって「食育」が注目されるようになりました。
「食」を学ぶことが、農業や漁業、果ては環境や生命に関することまでさまざまな学習につながることから、生活習慣病の若年化、非行の増加や低年齢化など、社会が抱える問題の解決策となりそうだと、各方面から高い関心を集めています。
食べることは他のものの命を自分の命に変える行為です。
他のものの命に、そして食事を作ってくれた人に感謝し、いただきますと手を合わせます。
同席した人に不快感を与えないために、マナーもあります。
家族で食卓を囲み、同じ物を食べ、その中で必要なことを伝えていく
のは大人たちの責任です。
食を大切にすることで一家だんらんが成り立ち、一家だんらんから温かい家庭や健康な心身が育ちます。
個食(同じ食卓でもそれぞれが自分の好きなものを食べる)や孤食(一人で食べる)は一家だんらんとは程遠く、もはや家族ではなく同居人です。
誰しも平和で豊かに、そして健康で暮らしたいと思っています。
にもかかわらず、その基本である一家だんらんをないがしろにしています。

メディアからの食や健康に関する情報に心惑わされ、日本のものでも、また旬のものでもない物を買いに走るという馬鹿な現象も見られます。
これも今までに「食育」がなされていなかったことが原因です。
健康にとってこの食べ物が、あの食べ物がよいというのは
断片的な情報にしか過ぎません。
健康にとって何が重要かは、総合的な情報として教えていかなければなりません。
そして子供の頃から、食の知識は必要となります。
なぜなら、子供の頃の食生活が一生を左右することになるからです。
たとえば一生のうち一日あたりのカルシウム蓄積量、つまり骨のカルシウムが一番増える時期は10歳~13歳くらいといわれ、その後カルシウムを蓄えるチャンスはないといわれています。

食は人に良いと書き、膳は体(月)に善いと書きます。
食べる人の体に良いことを考えて作られた食べ物を食膳と呼び、食欲を満たすためだけの食べ物はエサと呼びます。
食は人間性や感性を育て、エサは欲望を育てます。
想像してみてください。
一家だんらんの姿を。
そこから透けて見える未来こそが、皆が願っている世界なのではないでしょうか。

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いただきます

お客様からこんなお話を聞きました。
小学校での話なのですが、あるお母さんが学校に要望を出されたそうです。
その内容は「給食費をきちんと払っているのだから、いただきますの言葉は言わせないで欲しい。また手を合わせるのは宗教的だからそれもやめさせて欲しい」というものです。
いただきますの言葉には生産者や作ってくれた人たちへの感謝の意味も含まれているのでしょうが、もっと大きな意味をも持ちます。
すべての食材は生き物です。
生き物を食べることで、自分の命が保たれるわけですから、食べるという行為は動物や植物の命を自分の命に変えるということにほかなりません。
自分の命を支えるために他者の命をもらうわけですから、深い感謝を込めて手を合わせて「いただきます」、日本人の持つ感性の豊かさ優しさを顕す世界に誇れる習慣です。
その話を知り合いの小学校校長にしました。
今のお母さん達を教えたのは自分達、という関係から、今のお母さん達が小学生だった頃に伝えきれていないものがあったんだと、他の事例を出されながら話されていました。
昨今、命の教育が叫ばれています。
毎日他者の命を奪うことで私達は生きていくことが出来ます。
命の教育、基本は食卓です。
捧げられた命はもちろん、作ってくれた人に対しても、手を合わせて心から感謝して「いただきます」。
そんなことが自然に出来るような社会にしたいですね。


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自然と農業

農業をはじめる前は、「自然農法」と聞いても何ら疑問にも思わなかったのですが、いざやろうとした時、「農業」はすでに自然な行為ではないと考えました。
山野草の採取や、狩猟などによって生命が営まれた時代、自然がどれほどの人口を養える力を持っていたのかは不明ですが、どこかにバランスを取る力が働いていたように思えます。

5月下旬から一面に咲き誇るジャーマンカモミール。
昼間は摘み取りに来られたお客様でにぎわいますが、実はあたりが暗くなってからが、本領発揮なのです。
少しリンゴに似た香りが、暗くなると一段と強くなり園内に漂います。
受粉をする為、昆虫を寄せる手段を植物は持っています。
あるものは色で、あるものは形で、そしてカモミールなどは香りで。
香りで昆虫を寄せる手段を持つ植物は、派手な色は必要でなく、また大きく人目を引くような形も必要ではありません。
そのためほとんどの、小さくて白い花をつける植物は香りが強く、また夜行性の昆虫を引き寄せるように、夜は一段と香りが強くなります。
カモミールや夜香木・夜来香など夜に強い香りを放つ花の香りを嗅ぐと、自然の仕組みの奥深さに感動を覚えます。

自然のバランスや仕組みの奥深さは、人間の知恵の及ぶ所ではないように思われますが、採取するだけではとても養えないほど人口が増えた今、農業という栽培法は不自然とはいえ必要不可欠であると思われます。
ただ自然と不自然の境界を何を基準にどこに決めるかに、人間の知恵が注がれるべきと考えます。
遺伝子組替作物やクローン細胞などが日常的に行えるようになった現在、その思いは10年前とは比べものにならないほど強くなっています。
楽しく幸せに一生を過ごす目的を達成するための、お金や健康やその他いろいろの手段がどこかでゆがめられ、それに縛られ、結局は楽しくない毎日を過ごすことになっているような気がするのは私だけでしょうか。

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安全な食品

農薬や科学肥料を使って育てた野菜と、無農薬有機農法で育てた野菜と、どんな違いがあるのでしょうか。
実は、公的なデータがないのです。
野菜を収穫した後、時間の経過とともにどれだけ栄養価が低下するのかについても、公的なデータがありません。
国が発行している「日本食品標準成分表」によると1950年の初版と1982年の四訂版では多くの野菜の栄養価がかなり低下しています。
この栄養価の低下が、農薬や科学肥料を使うようになったからなのか、品種改良のせいなのか、検査方法の違いなのか、何に起因するのかは明らかにされてはいません。

何でも二極化が進む現代。農業も例外ではなく、大型農業と零細農業の二極化が進んでいます。
たしかに大型化は合理化を計り、コストを下げ、安く市場に食べ物を供給するという点では優れてい.るようですが、 食べ物という自然の産物に対してまで、合理化や効率化を推し進めた結果が栄養価の低下であり、狂牛病ではないでしょうか。
病気が多発している原因の一つとして食べ物の質の低下が考えられます。
あらゆる技術や知識を集めて、食べ物の質を向上させる方法を探ることが、医療費の高騰を抑制する近道と考えています。
命と密接なつながりのある「食」には経済原理を適用せず、支えていくという思いが必要となります。
農業者は安全で美味しい食べ物を作ることに生きがいを見出し、消費者は安全で新鮮な食べ物を手に入れるために生産者を支える、これを理想と考えます。

食べ物に対して十分な知識もなく、データが十分に提示されていない以上、何を基準にして食べ物を選んでいますか。
見た目ですか、価格ですか。
食べ物に気を配らないで毎日過ごすことは、緩やかな自殺であり、きちんとした食事を子供達に食べさせないのは、育児の責任を放棄したことになります。

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自然と健康


人間の体はたんぱく質で出来ていますが、同じたんぱく質である牛や豚などの肉汁を注射するとショック症状を引き起こします。
これは自分の体とは異なった異種タンパクに体が反応した結果なのですが、牛肉や豚肉などを食べるとショック症状は起こさず、体を作る材料になります。
これは牛肉や豚肉など、食べたものは小腸における消化吸収においてたんぱく質がアミノ酸に分解され、肝臓がアミノ酸を使って自分の体を構成するたんぱく質に再合成するからです。
同様にいろいろな食べ物は、そのまま利用されるのではなく、小腸で細かい分解物にまで分解されて吸収され肝臓に送られたのち、分解・合成・貯蔵といったことが行われて初めて、命を養う材料になります。
人間の命はこのような化学反応で支えられているわけですが、現代の生活では、その要ともいえる肝臓に仕事をさせすぎています。
水を飲んでも、空気を吸っても、食べ物を食べても、人工的な化学物質が体の中に入ってきます。
肝臓は黙って仕事をしていますが、限界があります。

人間の肝臓は約2000種類もの化学反応を行うと言われています。
現代の化学力で賄うとすると、1種類当たり大きいものでは数平方キロメートルもの工場が必要で、色々な触媒を使い、熱処理をし、1日の必要量を確保するのに何日間もかかるそうです。
私達の肝臓は、1.5キロ足らずの大きさで、酸などの触媒や高温も必要とせず、流れてくる血液を処理し命を支えてくれています。
命を支える仕組みは、今の私達の能力では推し量ることが出来ないほど高度なレベルで運営されています。
そのバランスを崩すのは、負担のかけすぎと考えます。
農薬や化学肥料で育てられ、食品添加物や保存料、化学調味量を使って調理された食べ物が、肝臓に負担をかけているような気がします。
最後に格言を一つ
ゲーテいわく「人間は自然から離れると病気に近づく」


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無農薬有機野菜
 
無農薬有機野菜と聞いて、安全というイメージが湧くと思います。
ところが、使う有機肥料によっては、化学肥料で育てたもののほうが安全であるというデータがあります。
化学肥料は、施肥のタイミングや量などがきちんとした科学的データによって決められています。
一方、有機肥料は、牛の糞か、豚のものか、あるいはニワトリか、混合かなどでもその性質は変わってきますし、草や野菜残渣との比率でも大きく変わります。
また十分に分解された完熟堆肥かどうかも問題になってきます。
このように、有機肥料と一口に言ってもその性質はさまざまで、栽培者の経験によって作られ、使われています。
結果、野菜に残留する硝酸態窒素の濃度が高かったりなど、安全とは言えない野菜が流通することになります。
何年間も休ませていた農地を取得した時、さほど施肥をしないでも簡単に無農薬で野菜が出来ました。
畑を休ませると、草が生え、枯れ、それを微生物が分解しといった自然の浄化サイクルが土をよみがえらせます。
肥料のよく効いた土でハーブを育てると、ラベンダーなどは枯れます。
またレモンバームやチャービルなどは葉が大きくなり、見た目には立派になりますが、香りや味が薄くなるようです。
野菜も、肥料をたくさんやり、早く大きく、そして見た目も立派なものを作ると上手だと言われるのですが、何か肥満体の野菜を作っているような気がします。
人間にも食べすぎが害になるように、野菜も多肥は害になるはずです。
天意の里では、一部の畑で実験的に動物の糞の投入を抑え(飼育しているニワトリの糞を少し入れます)、耕さず(耕すと自然のバランスを崩す気がします)草だらけの畑で野菜を育てています。(でもかなり手間はかかります)
畑を見られて「草だらけじゃないか」なんてよく言われます。
そのうち変わるかも分かりませんが、今はこれが良いと感じています。

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天意(あい)の里ハーブガーデン
所在地  広島県山県郡北広島町大朝   TEL 0826-82-3898




 
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